森羅万笑

この世のおもしろいことすべて

【M-1 2017】なぜジャルジャルと和牛は勝てなかったのか

 
 
 
今年もM1はおもしろかった。
 
そして終了後の「いや、優勝はあのコンビだ」論争が起きるのもいつものことだ。
 
ただ今年は例年よりなんとなく終了後の論争が激しい気がした。
それは和牛やとろサーモンの背景にあったストーリーがそうさせたのかもしれないし、最近の急な寒さのせいかもしれない。
 
M1で勝てるかどうかは「審査員がそのネタを面白いと思うかどうか」で決まるので深読みしても答えは分からないのだけれど、
ふと思い出したある紳助の言葉にその論争のひとつの答えがある気がしたので書く。
 
 
その紳助の言葉とは紳助がNSCの生徒に対して講義した時のこの言葉。
 
 
「どういう漫才を作るんや?」ってのを一番初めに考えるんよ。
 
 
自分が面白い!って思う笑いも2つあるよな。
面白いけど「俺にはでけへん!」ってのと「これ俺と一緒やん!」ってのが。
「これ俺と一緒やん!」ってのが自分に一番近いのよ。
そんなんをいくつか探すのよ。1人の漫才師だけやなくていくつか探す。
そして「これ出来る!俺と同じや!俺が友達を笑かしてるパターンと同じや!」ってのを見つけるのよ。
 
 
ほんで、もう一個が勉強や。
昔から売れてた人、その時その時で売れてる人のを全部聞け。
それを聞いて、どう変わってきたんか、何が違うか、徹底的に聞け。
 
 
それがね、Xと言うのはまず自分で何が出来るのか?自分の戦力を必死で探す。
ほんでY、これは世の中の笑いの流れ。時代の変化、これを研究するんや。
だから、XとYを研究してわかったら、初めてわかるんや。
 
 
『俺どうしよ?何をしよ?どんな笑いを作ろ?』
 
                         出典:紳竜の研究[DVD]
売れたければ2つの要素を徹底的に研究しろ、という話。
X=自分の戦力
Y=時代の流れ
 
 
ちなみにこの個人的に、この動画は他の職種の人が聞いても示唆が多いと思う。
正しい努力を出来ていない人というのは実はこの世界ではかなり多いのではないだろうか。
 
例え、5/5の努力をしていても、正しいベクトルに努力していなければ効率は2/5になり、5×2で10の力しかでない。
一方、3の努力しかしていない人でも、効率が5なら、3×5で15の力が出る。
3の努力しかしていない人が勝ってしまうのだ。
 
数字にするとシンプルだが、世の中こういう構造のことが多いのでは、と思う。 
 
 
少し話がそれてしまった。
今日はこのYのあるひとつの要素について話したい。
 
 
私が見つけたYをジャルジャルと和牛は持っていなかったから、
その点で時代に合っていなかったから、
だから勝てなかったのではないかという仮説である。
 
 
 
私はお笑いの歴史を全て研究した訳ではないが、
いち視聴者としてずっとお笑いを見ていて変化しているように感じることがある。
 
 
 
 
 
 
 
 
オチまでの時間が短くなっている
 
 
のだ。
 
言い換えるとオーディエンスがオチまで我慢できる時間が短くなっている。
 
 
Youtubeでは、最初の数秒が面白くなければ見てもらえない
Twitterでバズらせようと思うと140字で落とさなければならない。
Facebookで長い投稿をする時は、みんな【長文注意】と書く
 
 
これらは私達が如何に待てなくなっているかを示している気がする。
 
 
そして少し正確に言えば、これは時間だけではない。
そのコンテンツを理解するのに、頭を使うことへの我慢も含まれる。
 
 
即時性。即得られる笑い。
私達はこれを無意識のうちに求めている傾向があるような気がする。
 
 
これが私の見つけたYである。
 
そしてこれが奇しくも今回のM1で私の好きなジャルジャルと和牛が勝てなかった理由になっているように思えるのである。
 
 
 
 
ジャルジャルと和牛が他のコンビの漫才と決定的に違う点がある。
 
 
大抵の漫才は、1つ1つのボケ+ツッコミのセットを切り出しても笑えるし、成立はする。
その各パーツを重ねて天丼したり、裏切って大きな笑いを作ったりする。
 
ただこの2組の場合、ボケ+ツッコミのセットを切り出すと笑えない。
ずっと文脈を追っている必要があるのだ。
 
 
ジャルジャルの漫才(ほとんどコントだが)は、1つのルールを守って行われる。
 
今回の場合、そのルールが「ピンポンパンで盛り上がる」という極めてバカでセンスの良いルールなのである。
松本が「もう少しやっちゃうと曲になる」と言っていたがまさにそれが他の漫才との違いだろう。
 
松本「…ですよね。僕は一番面白かったんですけど、多分そうでもないと思う人もいるかな。分かれるねこれは!アレ以上いき切っちゃったなら曲になっちゃうので、そのギリギリの設定のところで意見が分かれるんじゃないかな。僕はバッチリでしたけどね」
     出典:M-1グランプリ 公式サイト決勝 ジャルジャルのネタ後の松本人志のコメント
 
ルールがある以上、オーディエンスも次に何が来るかある程度読めるのである。
アーティストのライブでサビの最後のフレーズを一緒に歌う感覚に近いのかもしれない。
 
ただそこでジャルジャルが圧倒的に凄いのは、何が来るか分かっていながら面白いのである。
今回のネタは、まさに彼らが追求してきた「1つのルールの中で最高にふざける系」の究極なのだと思う。
 
ただずっとそのルールに照らし合わせて理解するというコストを払いながら見る必要があるのだ。
オール巨人ジャルジャルのネタにこうコメントしている。
巨人「いつも新しいものに挑戦している姿勢が大好きなんですけど。前半少し寂しかったのと、『アホやったら聞かれへんのちゃうかな』と言うネタで、(聞き手が)理解できないと笑えないからね。」「今日はベタなネタがほとんどだったけど、彼らは新しいものに挑戦していて、そこが高得点。僕も面白かったと思います。」
出典:M-1グランプリ 公式サイト決勝 ジャルジャルのネタ後のオール巨人のコメントより
 
 
ジャルジャルに高い得点を入れた(その人の中で)人は、松本、オール巨人
それ以外の審査員はみな平均以下の点数をつけている。
 
 
これは単に好みが別れたというだけではなく、
ジャルジャルの出番が最後で、それまでに審査員が疲れていたというのも関係しているのかもしれない。
 
こんなタラレバは一切意味がないが、もしジャルジャルの出番が最初だったら…
 
にしてもふと思ったが改めて、あのえみくじというシステムで最後までプレッシャーを受け続けたジャルジャルがあのネタを全くミスらずにやりきったのは本当に凄いことだと思う。
 
 
点数が気になる方のために、貼っておく。こちらから確認できる。

 
そして和牛も同様である。
和牛の場合、前半でひたすら張った伏線を後半で一気に回収していくというスタイルなので、ジャルジャルほど理解が難しくはない。
 
ただ、それでもとろサーモンほど分かりやすくはない。
 
覚えておいてもらうというコストを無意識のうちに使わせているからである。
 
 
和牛のネタに対してオール巨人は、
巨人「前半はびっくりしました。このまま行ったら落ちるんちゃうかなって。後半はさすがに上手いと言うか…ま、ギリギリですね。もう少し前半が長かったら、あと2,3点低いかもしれません。でもさすがに上手い。テンションもあげられるし、立派なもんだと思います。」
    出典:M-1グランプリ 公式サイト決勝 和牛のネタ後のオール巨人のコメントより
 
と言っているが、「前半が長かったら」というのはまさにこの耐えられる時間の感覚だと思う。
 
そして和牛はこの「伏線張りまくって回収系」の路線で最高のネタを作り上げた。
 
 
 
どちらのコンビもそれぞれの系統で、おそらくコンビ史上最高の出来のネタを作り上げた。そしてそれは本人達も感じていた。
 
 
ワイドナショーで和牛のボケの水田はこう語っている。
「本当に正直終わった瞬間相方と、次何したらええんやろってなりました、ほんと。
今まで3回出さしてもらって、自分らの中で色んなパターン見したつもりなんで、何する次?みたいな。」
     出典:ワイドナショー - フジテレビ 和牛 水田信二のM1についてのコメント
 
 
そしてジャルジャルエゴサーチTVでこう語っている。
後藤「(ネタ出来た瞬間に)あ、優勝するネタってこういうネタなんや、って。あ、神様はこのタイミングでジャルジャルを優勝させよう、と。ありがとうございます、と。」
福徳「出来た瞬間に、ほんまに僕が、『見えたな』って。後藤が、『おう』って。」
 
 
 
間違いない。
確かに一ファンとしても、
それぞれのジャンルにおける最高傑作とも言えるようなネタだと、確かに感じた。
 
 
たださっきのYの話に照らすなら、「いま」じゃないのだ。
 
もっと前、もしくはこの即時的な感情消費が飽きられて、もう一度「コストが高くても質重視」したい欲がオーディエンスに湧いた時。
 
それがこの2組が脚光を浴びる時なのではないかと思う。
(他のコンビが質が低いなどという意味では決してない)
 
 
今の時代に合っているのは、とろサーモンのようなこちらが何も考えずポケーとしてても見られるお笑いなのだと思う。
大吉先生も優勝の理由に即時性を上げている。
 
「つかみが一番早かった!つかみのスピードがピカイチだったんで!」
       出典:M-1グランプリ 公式サイト 優勝発表後、博多大吉のコメントより
 
ツカミとは一番最初の笑いだ。
これが早ければ早いほどオーディエンスは一度笑いを待つ我慢から解放されるのだ。
ツカミが早ければその分、オーディエンスは次の笑いを安心して待てるのである。
 
 
いずれこの即時的な消費は揺り戻しが来ると思っている。
短い時間でより良い体験をという時代の流れを止めることは出来ないが、信頼に基づく「この人のものなら」「この人のおすすめなら」長い時間をかけてでも見たい、体験したいという消費が行われるようになるはずである。
 
 
しかし、時代の流れに関係なく、常に「コストが高くても質重視」のオーディエンスは存在する。
私自身も、今回のM1を見て一層、ジャルジャルと和牛のことがさらに好きになった。
 
 
あのような完成度の高い、もはやアートに近いようなネタを作って、笑いを提供してくれた2組に、
心からのリスペクトと心からの感謝を贈りたい。
 
 
別に次こそは優勝して欲しいなどとは言わない。
もはやそれは何を目指しているのか分からない、ただのストーリーを綺麗にするためだけの熱意な気がするから。
 
 
ここ数年で一番楽しめたM1でした。
またM1に出るとしても出ないとしても陰ながら応援してます。